危険予知(KY)ブログ〜特にIT業界

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「病は気から」はエセ科学なのか

結論としては、「病は気から」は真実だと考えている。しかし、その因果を反転させ、「気」を変えれば「病」がなくなる、
と言うのは乱暴な考えだ。「病は気から」が本当らしいという記事(「病は気から」は、科学的に解明されつつある | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準)もあったが、幾つかまとめておく。

「気」を「思考」と置き換え、「病」を「身体」の状態としてみよう。「気」と「身体」は全く相関が無いようには思えないし、完全に相関しているとも言い難い。仮に100%の相関してしまうと「一喜一憂」て「身体」パフォーマンスは著しく変動してしまう。これは進化における適者生存の点では不利だったのだろう。即ち死ぬ確率が高くなるかだ。オリンピック・クラスの競技会での選手のパフォーマンスはこの事を我々に思い起こさせる。

一方、アドラー心理学では「トラウマ」は無いと言う。しかし、当人が感じている「痛み」を否定してはいない。しかし、「痛み」に対する「解釈」「反応」はその当人のみが選択できることだとする。受け入れてより生きやすく考えや行動を変えてもいけるし、他人のせいにして不平不満を溜め込むこともできる。

仮に後者を選択すれば、「気」は悪くなるし、更なる「病」を引き起こし「負のループ」を形成しそうだ。「三毒追放」とは前者の選択をするスローガンだ。

コンピュータに置き換えれば、一時的に記憶するメモリと次の挙動を決めるプログラムとみなせそうだ。要は一旦はプログラムに従って緊急的な処理を済ませ、後からメモリに蓄積された情報を使い
緊急的では無い処理を行うようなものだ。

「トラウマ」とは、メモリへの記録の歪み、読み取りの歪み、プログラムにおける判断基準の歪みにより生じてはいるかもしれないが、これらは当人の世界認識そのものであり、これを変えることは当人により可能である。よって世界認識の仕方が変わればそもそも「トラウマ」などは生じないということになる。

我々はココロとカラダの問題を「理学」として捉えがちだ。私もそのように捉え、結局のところ「確証が無いのだからやらない」と逃げていた。

「工学の目標は人類の幸福、理学の目標は真理の探求です。 」(工学と理学の違い

「幸福」のためには良いことは何でもトライしていこうと再度思った。

15歳はなぜ言うことを聞かないのか?

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